2017年01月17日

論語 そろそろ

49DBDB31-E61D-48A9-8DBC-07AF3B7AF06D.jpg

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩をえず。


「私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった」
と訳されてますが…

実は、四十は不惑は不惑でなく、「不或」だったとも言われてます。不或とは、「区切らず」の意で、本当は「四十にしてくぎらず」と解釈すべきであるということです。

四十にもなればある程度の成果を出し、自分に自信を持って迷いがなくなるのかもしれないけれども、そこにしがみつかず、新しい領域にチャレンジしていかなければいけないよ、というメッセージらしい。

30代では、色んな舞台や試みをやった。

40代は、経験のない生活や仕事に飛び込んだ。

あと少し…


そろそろ天命に戻らなきゃね〜。

1836076F-D52B-4CB7-85FE-71B2729B20D8.jpg

posted by hana at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

献血と骨髄バンク

献血と骨髄バンクとガン。


1358F43F-959E-41D6-93EC-1917C74C7E19.jpg

中学の時の親しい友人が、突然旅立ちました。
9月には一緒に飲み、その後発病した後も元気にしていましたが、入院し治療が始まりわずか3週間でした。

骨髄移植の予定も決まっていたのに、その前に逝ってしまいました。

この事を期に私も何か出来ないのかと考えました。

日常はいたって元気で、会社のグッドシェイプも元気に達成❗️

239020AB-D928-44D0-9E0F-575AE674C49A.jpg


しかし…
私は献血も、骨髄バンク登録も出来ない事が判明しました(T_T)💧💧

癌をした人は出来ないという事を知りませんでした。
確かにガンの因子ごと輸血や移植されちゃかなわないよね〜(^_^;)

細胞は役にたたないし、お金を残して援助する事も出来そうにないから、体で奉仕する事しか残されてないんだな〜。

この先どう生きるかを見直さなければ🍀🍀

そんな2015年、師走🏃🏃
posted by hana at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

戦後70年 個人的メモ2


80歳、樺太真岡から釧路に引き揚げた叔母の話。

3A891860-BB9F-42C0-89A6-4BBEA8EF4C5F.jpg

釧路で親戚の農家を頼り身を寄せたが、大人2人と子ども3人に転がり込まれた親戚とのいざこざもあった様。
ま、戦後、空襲後に自分たちの子どもに食べさせるのも儘ならない中で、配給しかない5人がやってきたら困るのは当然。

一年ほどで、その親戚の夫が市役所勤めだったので、公務員住宅の空きってことで、刑務所の横にある刑務所職員の官舎に家を借りた。

家と言っても畳はなく、畳を剥いだ状態の板の上に貰い物のむしろを敷いただけの部屋。親戚から貰った布団が二組。その布団に上下互い違いに寝ていた。

食器や鍋はゴミ捨て場から拾い、山に行って粘土を持ってきて磨く。藁を束ねてタワシにしてこする。海から塩水を汲んできて煮沸した上澄みで、さらに鍋や食器を煮沸消毒。この煮沸消毒は刑務所官舎にいた外国人が、日本は不衛生だからとフキンなどを消毒してたのを見て、近所の人が真似たそう。
空襲であちこち焼けて木片が落ちてるので、薪を集めるのが子どもたちの仕事。

大人たちは第二の収穫へ。
これは農家が収穫した後の畑に行き、クズの野菜や小さな芋などを拾うらしい。
0円食堂の現実版。

大人たちが出掛けてる間、昼に食べるのは煎った豆が10粒。10歳と、4歳の二人で20粒を食べて、親が帰ってくるのを待っていたそう。

またお風呂に行った帰りに、刑務所の土手に服役者が植えたカボチャを貰う(盗む(^_^;) )

叔母曰く、中国や北朝鮮の垢だらけの子どもをテレビで見て酷いなと思うけど、日本もついこの間は同じだったんだよ。

そんな生活が1年ほど続き、引き揚げ者住宅が出来、入居できる事となる。

6畳二間に小さな流し台。それでも畳があるだけ立派だった。その頃上の姉は、このままでは誰かが餓死すると滝川に出稼に。旅館に住み込みで働いては、月に一度、南瓜と瓜とお米とお金を届けに鈍行列車で釧路まで届けにくる生活。
3歳上の姉は市役所に勤めに出る。
母親は旅館に布団を縫う仕事に行き、叔母も手伝いで時々縫っていたそう。

配給の米と出稼の姉の米のおかげで、米の蓄えが出来、少し楽になってきた時に、後から引き揚げてきた姉家族がやってきた。あっと言う間に蓄えの米もなくなり、また苦しい中で、姉の夫(警察官)が転勤で家族揃っていなくなる。
しかし、ソビエトに抑留されていた兄二人が相次いで帰ってきて、さらに兄の妻と子どもも来て、また苦しさへ。結局兄二人は肺結核で亡くなる。

滝川へ出稼の姉も引き揚げで持ってきた着物を盗まれたり苦労をしながら、家族の為にお金を作ったらしい。

さらにこの頃の子どもたちの仕事は、荷馬車から溢れた石炭拾い。大きな麻袋に入れて貯めて、一年で4500円にもなったそう。

第二の収穫といい、刑務所のカボチャといい、石炭拾いといい、拾ったか盗んだか判らない状態だし、逆に着物を盗まれたり、生きるのに誰もが必死だった時代。

この人達がわずか4歳の母を守ってくれたから、私がここにいる。

戦争だけじゃなく、戦後の衛生環境と餓死寸前のなかで、生きのびた人達にひれ伏す。
posted by hana at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦後70年 個人的メモ

80歳叔母の記憶


D11ADE31-5B75-4D8B-92DD-44C8603F10C8.jpg

1DE78423-1740-429C-B141-CF94C4FAD7EF.jpg

終戦は樺太の真岡にて。
ラジオは聞き取りにくく、天皇陛下が何を言ってるかわからないが、大人たちは泣いていて不思議だった。
ソビエトが来るという噂。
大人たちは庭に米など食べ物を埋めてかくし、着物は田舎の農家に預かってもらうなどする。
後に残った二人の兄が掘り返して食べたが、ソ連軍が海からやってきて、家を捨て、山に逃げ隠れたそう。

昭和20年8月17日、真岡より出航。母、姉25歳、姉13歳、姉の娘4歳、自分10歳の女5人。着れるだけ、持てるだけ以外の荷物は置いて行かなければならない為、真夏の暑さの中、10枚近くを重ね着。漁船の様な船。魚を入れる船底にたくさんの人が詰め込まれる。途中4才の姪がおしっこと言い出す。母親(姉25才)が甲板に連れて行くと兵隊さんに隠れていろと怒鳴られるも、どうせ死ぬならおしっこ位させろと詰め寄り、甲板で用をたす。後の噂と記憶が錯綜してるようで、自分たちの乗った船の前と後ろが撃沈され、3艘うち1つだけが生き残ったと言っているが、三船殉難事件の船とは様子が違う。また稚内に着いている事から、事件の船が自分の船との記憶の擦り込みか?
稚内港に到着後、一駅歩かされる。そこから旭川-釧路と鈍行列車で移動。
釧路の道が穴だらけで、焼け焦げた木片が穴の中にあって驚く。
真岡は引き上げの日まで、空襲もなく、平和。B29も見た事ない。食べ物も豊富。引き上げの時には白米に鮭を沢山入れたおにぎりを持参。食べた時には、かなり痛んでいたが、お腹は壊さなかったとの事。
姉は真岡で郵便局で働いていたが、ソビエトが来るのがわかると、◯◯ちゃんは逃げなさいと言われる。残っていたら自決した電話交換手の一人だったかも。

平和な真岡に比べ釧路は穴だらけで焼け尽くされて、10才の子ども心に驚く。
母型の実家へ身を寄せる。しかし、代が変わっているため苦労多い。そこの娘の夫が市役所職員だったため、
刑務所職員官舎の空き部屋を借りる事となる。
畳はなく、畳をはがした板張りの上にむしろを敷いただけの部屋での暮らしが始まる。

食器は粘土とワラと外人さんの真似で煮沸?石炭拾い。刑務所のカボチャ。食べ物は二度目の収穫。
引き上げ住宅へ入居。
などへ…続く
posted by hana at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月06日

ことばのハンカチ

5F283324-789A-4ABD-AEBC-0B2A75736A3B.jpg

昼休み、地下歩行空間を歩いていたら、なにやら気になるブース。


3B96EB85-2D14-47EF-BF71-E42306D62568.jpg

三年くらいじゃ、復興なんてまだまだだろうな。
また冬が来て、寒くて疲れちゃうだろうな。
…と思っても何も出来ないので、せめてお弁当包み用のハンカチを購入。

岩手・宮城・福島の方々のことばに日本グラフィックデザイナー協会のデザイナーがデザインを加えた素敵なハンカチがたくさんありました。

3回目だそうです。
今回は助成金なども少なく、復興がままならない中、プレハブでお店を続ける商店街へ収益が届けられるそうです。
地元経済が回らなきゃ復興は進まないよね。


6129FB7D-A516-4B3B-885B-05C4B98215E0.jpg

一見和風に見えて、手を繋いでる柄。
おもいやり・絆
ということばが小さくプリントされてます。
1200円で、ほっこり(o^^o)

posted by hana at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする